バイノーラル録音が流行らなかった理由。

 
 
昔々有るところに、バイノーラル録音という音楽の録音技術を考えた
人がおりました。
 
原理は至って簡単。人間の頭を模倣し、耳の形から、鼓膜に至るまで
そっくり真似をした、ダミーヘッドというものを製作し、この耳の中
に集音マイクを取り付けてステレオで録音すれば、人間の耳で聴いて
いるのと同じ環境で音が取れるようになり、音場や定位などが確りと
感じられるような、録音データが取れるはずだと考え、実現して見せ
たものでした。
 
もう30年以上前の話です。当時はこのダミーヘッドがカタログに載っ
ていたりして、値段も高く、実際に録音されたものを聴く機会も殆ど
なく、将来はこのようなものが一般化されていくのかなーと、子供な
がらに想像していたものでした。
 
これ以外にも、4チャンネル録音、ホロフォニクスなど、単純なステ
レオ録音の次に来る新時代の録音候補がいくつかありました。
 
しかし結局どれも実用化されても殆ど流行る事もなく、単純なステレ
オ録音が、録音メディアを変えることによって音質を向上させながら
廃れる事もなく、続いて行きました。
 
どれも単純な2チャンネル録音を置き換えるものになりえなかったの
には、其々色々な理由が考えられますが、取り敢えず今回は、バイノ
ーラル録音について、自分が思った事を、書いてみたいと思います。
 
その前に、一つ言っておきたい事は、どんな方式や技術でも、そのも
のがどれだけ優れているかだけでは決して選択されないのだという事
を忘れないで欲しいという事です。
 
優れているにも拘らず消えていった技術の何と多い事か。
 
で、本題に入ります。
 
バイノーラル録音は、その方式から分かるように、如何に現実に忠実
な環境を作って、録音するかが、決め手となっています。なので、例
えば、コンサートホールで演奏されたものを録音しようと思えば、コ
ンサートホールにダミーヘッドと録音装置を設置して、録音しなけれ
ばいけません。
 
スタジオで録音する時も、ドラム、ベース、ギター、ボーカル、キー
ボードなどを、全て一つの部屋にきちんと設置して、一発取りをしな
ければなりません。(まあ、継ぎ接ぎをする事は可能かもしれないが

 
当然、録音前に、ベストなセッティングを決めておかねばならず、後
から、ギターをもっと左にとか、ドラムをもっと奥にとか、録音デー
タを弄る事は、ちょっと現実的ではないでしょう。全体の雰囲気を、
丸ごと録音するところに意味がある訳ですから。
 
また、バスドラをもっと強めにとか、ボーカルをもっと引き立てるよ
うにとか、個々の音源を別々に音の大きさを弄る事も当時の技術では
不可能だったでしょう。
 
当然、エフェクトを掛けるにしても、全体的にしか出来ないであろう
事は想像に難くない。
 
寧ろより現実に近いという事が、逆に録音データを好きなように後か
ら操作できるようにすることの妨げとなっている事になります。
 
別に自然でなくてもいい。聴いた人にとってより心地よく或いは格好
良く出来れば、その方が、遥かに有用だという事です。
 
こんなところでも、自然と不自然が対立の関係にある事が実証されて
いるのではないでしょうか。
 
結局、不自然に感じない程度に弄れたほうが、より良い音楽ソースの
提供にとっては有りがたい。それどころか、寧ろ不自然であっても、
面白ければ、それはそれで気に入ってもらえる事もある訳で、そう考
えると、自然に聴こえる事に拘る事がどれだけ意味があるのかは、聴
き手に委ねられているという事なのでしょう。
 
ステレオ録音に、自然さを求めている人も多いかもしれませんが、実
際は、殆ど自然とはかけ離れた状態で製作されているという事は忘れ
ないでいて欲しいです。
 
音場、定位、音の滑らかさやきつさ、周波数特性、ノイズその他諸々
これらは全て人工的に操作することが可能なものばかりです。そして
人工的に操作する技術は益々進歩して、逆に益々自然に感じられる様
になっていく事でしょう。
 
バイノーラル録音が音が良く出来なかったから亡くなったという考え
方もあるかもしれません。しかし、かつて、究極の?ガソリンエンジ
ンと持て囃されたロータリーエンジンは、アイデアとしては明らかに
レシプロエンジンを上回るものがあったと思っているのですが、結局
激しい競争に揉まれて、沢山の会社がアイデアを出し、改良が進んで
いったレシプロエンジンと、殆ど1社で頑張っていたロータリーエン
ジンでは、勝者は既に決まっていたと言えるかもしれません。
 
バイノーラル録音にも、改良の余地は沢山残されていたかもしれない。
しかし、この方式が、本当の意味での自然を最重視する限り、残念な
がらいつまでも続く未来は約束されていなかったと言わざるを得ない
のだと肝に銘じておこうと思います。
 
最後に。
 
パソコンの世界でも、不自然が自然を駆逐しようとする動きが絶え間
なく繰り返されています。一見、パソコンのCPUの処理能力の問題
かと思えるような動きが、実は、人工的に、CPUの無駄遣いをさせ
ていたり、クラッシュしたように見えるというか、クラッシュしたと
いうダイアログを表示させておきながら実は、有る操作を行うと、そ
のダイアログが表示されるようにプログラムされていたり、こういっ
たものは、ウイルスと違って、普通のプログラムが普通の手順で実行
しているものに問題がある訳で、これを無くすことは現実的には不可
能でしょう。行って見れば、バグと同じ訳ですから。それが、結果が
分かっていてプログラムされたもの(故意)か、意図せずそうなって
しまったものか(過失?)の違いだけですから。
こんなところでも、人間は自然と不自然の狭間で常に揺り動かされて
いる訳なのです。