さて、どうしたものか。

 
 
何か同じ話をもう何度も何度もしている或いは訊いている様な
気がするのだが、単なるデジャヴだろうか。
 
 
最近考えている下らん事は、音楽のメロディーについてである。
 
中学校で、和音(コード)と、コード進行の関係について、極
簡単な事だけで有るが、教わったのを覚えているだろうか。
 
ドミソ、ドファラ、シレソ、ドミソ。ホントにシンプルな曲の
作り方の一つである。
 
しかしなぜ、人間はこれを騒音でなく、音楽として認識するの
だろうか。
 
アニメや、文学作品では、起承転結か。でもこれはすんなり納
得出来る。
 
人と人とが出会い、繋がりが出来、何か行動を起こして、それ
が収束に向かう。
 
コードにも、そういった意味が有るのだろうか。
 
ジャズを聴いていると、「渋いっ」と思う事が時々ある。 
 
どうしてここで、この音が使えるのか。一見(一聴)不協和音
のように感じなくもないが、微妙に違う。外しているようでい
ながら何故か前後の繋がりを感じるのである。 
 
ジャズから来ていながら、すっかりポピュラーに馴染んでしま
ったフレーズというのも結構有る。 
 
クラシックでは説明できない何かがそこに有る。
 
理論は、後からまとめたものだろう。感性に訴える物でなけれ
ばいくら理屈を捏ねても、面白くもない。
 
何度も何度も、試しては創り直しを繰り返した結果だろうか。
 
人によっては、唯の騒音、演奏間違い、下手糞としか感じない
人もいる。それはそれでしょうがない。人それぞれだし。演歌
の方が心地よいならそれも良し。
 
だが、演歌のパターンを覚えてくると、ちょっと違ったパター
ンに興味を持ちだしたりする事もあるだろう。
 
結局はどの音楽ジャンルもパターンだったりするともいえそう
だが、そのパターンからちょっと違った方向へ踏み出してみよ
うと考える所に、新しい音楽へのまた別の楽しみ方が生まれて
くるようである。
 
型を知っているからこその型破りだったりするとも思うのだが
それだけでもないだろう。
 
初めて聴いた音楽がジャズだったりする事もあるだろう。 
 
自由と束縛、集中と分散、緊張と緩和、これらが、音のリズム
と音色、音程などの限られた表現方法だけで、感じさせる事が
出来るようになるというのが不思議だ。
 
決してジャズだけに限った事ではないのだが、たまたま今は、
ジャズを聴く事が多いというだけの事だ。
 
今でも、ロックを聴くと、何か熱いものが感じられる。
 
クラシックもじつはかなり好きな曲は沢山有ったりするのだが
曲名を知らないものがかなり多い。
 
今はとにかく、染み込むまでジャズを聴いていたい。
 
理屈はその後からでもいいだろう。