分かってない事をいくら言い続けても埒が明かないのは世の常。

 
 
世の中色々な事が多すぎて、ああでもないこうでもないと考え続けたり
すると、終いには精神を病んでしまうことになるんでしょうか。
 
科学的にも理論的にも「分かっていない事」「解明されていない事」な
のだという事を認識するのは、難しい事なんでしょうな。結局、自分も
含めて分かったつもりになりたいだけ?(これにも大いに反論があるで
しょうが)
 
人間の能力にはまだまだ計り知れないものが有るのだと考えるのも夢が
有って良いと思いますが、少なくとも今の時点で
 
「分かり切れるはずがない。」というか
「分かり切っていない。」
「分かり切る事が出来ない。」
ものが有る事を認識して欲しいと思うのです。
 
宇宙の果ては有るのか、これを絶対にあると言い切る事も出来るし、「
絶対に無い」或いは「人間の能力では解明する事は現時点で不可能」と
言い切る事もまた可能。
 
侃々諤々の議論は何時迄も続けることが可能。永遠に続く事に対する人
間の憧れ。楽しんでしまう事もまた一つの解決策ですか。
 
同じ議論を何度でも蒸し返す、そして、黙ったり、逃げたり、怒ったり
結局、議論には何の意味もないのに、勝った負けたの騒ぎになる。
 
「チカラ」でねじ伏せるには多少の躊躇いがあったりするんでしょうか。
 
ホントに全くおんなじことを、態々知らなかった事にしてまた話を続け
ていく、付き合いきれない事のなんと多い事か。だれも付き合ってくれ
なんていっていませんでしたか。こっちが付き合ってもらわんと困るの
か。
でもそれで世の中が動いていくんだとしたら、どんなに同じだと分かっ
ていても、また繰り返して行くしかないんでしょう。小市民。
 
それでも、何か少しでも変わってないかと、確認してみたくなってしま
う自分が悲しい。
 
割り切りが大切。ホントに割り切りの良い人って結構人生上手くやって
るようなきがしますな。
 
また蒸し返すか、って呆れてものも言いたい。言いたくてしょうがない。
 
生きてるうちは「永遠に続く」ですか。いやー死後の世界でも多分続い
て行くんじゃないかな、きっと。それが出来てるうちはまだマシなのか。
 
 
===第2部===
 
錯覚、錯視などというものも、様々な方面で、様々なものが研究されて
いたりしますが、そこへ、ちょっと
「知ったか」 
で、口を挟んでみたくなりましたので。偉そうに。嫌いな人は聞き流し
て下さいね〜。
 
音楽の視聴環境も最近はどんどんと進んできて、ハイレゾなるものが、
巷を賑わしているようですが、そこへ偉そうに、一言二言三言。
人間の五感は、視覚に限らず、どんなものでも、多少なりとも、錯覚と
言えるような部分があるのは、結構言われていると思っているのですが
勿論、聴覚にも当然有ると思うのが筋ではないか、いや有ると言い切る。
 
そこでささやかながら、最近ちょっと気になったので言わせてもらいた
い。というか聴いて欲しいのだな。
 
ハイレゾ音源には、録音時にどれだけ細かくデータを記録したかによっ
て、44.1kHz、96kHz、192kHzなどという風に、時間
当たりのデータ記録量の違いを示す数値で、その情報量の多さを識別す
るような表現がなされていたりします。
 
この情報量の違いを、どれだけ人間が識別できるのかという事に関心が
持たれていたりする訳ですが、個人的には
 
「違いが分かるかどうかが分からない。」
 
けれども、個人差があるので必ずとは言えないけれど、確かに知覚出来
る範囲内で「分かる事が出来る」のではないかとも思っています。
 
それについては、特に議論する気は毛頭ないので、分からないのが正解
というのもありでしょう。(正解ってなんだ?)
 
で、本題ですが、44.1kHzで録音された音楽を聴いた後、同じ曲
で96kHzで録音された音楽を聴いてみると、「お、ちょっと音が良
くなってる」と思ったりするのですが、その後すぐまた、44.1kH
zの音楽を聴き直して見ると、「あれ、そんなに違わないんじゃね?」
となってしまうのは自分だけですかね。
 
それでまた、96kHzを聴いてみると、「ああ、やっぱりこっちが良
いか。」という感じで何ともあやふや。
 
ですが、この96kHzから44.1kHzに戻った場合の、「そんな
にちがわないんじゃね?」には、理由が有ると、思ってみたのですが、
その原因は、必ず、44.1kHzの方が前より良くなっているような
気がするという事です。
 
要するに、これは錯覚(錯聴?)なのではないかと。
 
44.1kHzの音を聴いた後、96kHzの音を聴いてその良かった
音がまだ残っていて、次に44.1kHzを聴いたときに、脳がかって
に有りもしない情報を「補間」してしまっているのではないかと思った
訳です。
 
大した根拠もない、唯の個人的感想レベルですが、その可能性は有るん
じゃないかと思っています。
 
人間の脳については、「分からない事だらけ」だと思いますが、いや、
「だらけ」ですが、別に議論する必要もない、ただ、単純に、自分で聴
いてみて、思った事を、ちょっと聴き比べたりして、楽しむのも、許さ
れる範囲内ではないでしょうか。
 
 
 
===第3部===
 
そういえば、全く関係のない話では有るが、以前、気になった事が有っ
たので、ちょっと追加しておきたい。人間の脳の不思議の一つとして、
頭の中に入れておいて貰えればと。
 
人間は、音を立体的に捉える事が出来るという素晴らしい能力を持って
いるが、では、その立体的に捉える事が出来る仕組みはどうなっている
のかというのは、非常に難しい問題である。
 
もう何十年も前になるが、これに関しても、議論をするつもりはないの
でどういった方式なのかという事に言及する事は控えさせて頂きたい。
 
ヘッドフォンによって立体的に音の鳴っている方向、位置などが感じら
れる技術として紹介されていたので実際に、カセットテープを購入し、
聴いて確かめてみた。
 
確かにはっきりと、おとの方向が分かる。頭の後ろまで、ぐるっと一回
りするのが、感じられる。上からも聴こえてくるのが分かる。
 
ただ、音楽を聴いた訳ではないので、きっと技術的に色々、まだ発展途
上?に有ったのかもしれないし、もしかしたら、技術的限界もあったの
かもしれない。その辺の細かい事は分からないが、買ったテープの解説
書に、ヘッドフォンの片方を外して、片耳だけで聴いても方向が分かる
と書かれていたので、実際外して片方で聴いてみた。
 
両耳程ではないが、確かに立体感と言えるものが感じられた。研究者で
はないし、音響機器メーカーでもなかったので、それ以上は、どうする
事もなく、ただ、不思議だという思いだけが残った。それを、ごく最近
になって思い出した。
 
お前の耳がイカレてんじゃねーかと思われる方も多いと思うが、そこは
読まれた方の判断に任せる。興味のある方は、自分で探して聴いてみて
欲しい。「片耳」と「立体感」で、でてくるか?多分無理か。
 
しかし、目が認識する3次元の情報も、結構いい加減というか、だます
方法があって、だまし絵というものをご覧になった方も最近では多いと
思われるが、あれも理由は、原因はという事になると、過去の経験から
の判断が間違いを起こすというか、経験によって得られるようになった
判断力も完全ではないという事なのだろう。確り解明されている訳では
決してない。
 
生まれたての赤ん坊は、高い所に渡されたガラスの上を怖がらないが、
少し成長した子供(何歳だったか忘れたが3歳未満ではなかったかと思
う)は、ガラスの下が丸見えなので、怖がって、決してガラスの上を渡
ろうとはしない、という実験も、かなり前だったが、テレビで見た事を
覚えている。
 
高い所から落ちる怖さを目で見て判断する能力を成長の段階で獲得した
のだろうと言っていた。要するに生まれたての本能ではないという事だ
った。
 
聴覚の、立体感を感じる能力も、後天的なものだとしたら、経験した事
のない音に対してはどういう判断をするかは分からないだろう。騙す方
法は、いくらでもあると言って良い。それが良い意味か、悪い意味かは
使い方次第だろうが。
 
騙すというのは人聞きの悪い話なので、勘違いを起こさせるような音を
創る事が出来るとでも言っておこうか。
 
解明されつくしているのではないという事をぜひとも頭の中にしまって
おいて頂きたい。これは決して個人の考えではなく、研究者の方々でも
話の最後には「全部分かっている訳ではない。」と付け足す事でもある
ので、その受け売り程度に思って貰っても構わない。
 
そしてまた、
 
      ・・・続く。