後ろ向きな楽観論者と、前向きな悲観論者。

今週のお題「秋の味覚」

秋の味覚と言えば、あまりに沢山有りすぎてきりがないですが、
思いつきで言えば、まあ、栗ですか。子供の時、山のように(
というか山そのもの)もっこりとしたモンブラン(ケーキだけに
景気が良くなるってか)を、横目で見ながら、涎を垂らしていた
事を思い出します。山の上には栗が丸ごと。
 
前置きはさておき、主題に入ります。
 
良く、楽観的とか前向きとか、積極的とか、人間の行動に対して
色んな言われ方があるようですが、最近の大きな事件(震災だっ
たり、列車事故だったり、その他もろもろ)に対して、どうやっ
て対処して言ったら良いのかを考えずにはいられない訳ですが、
その時に必ず、楽観的な意見と、悲観的な意見が出たりする訳で
すが、つくづく思うのは、
 
楽観的=行動的、悲観的=消極的と気分的にはそうなってしまう
のかもしれませんが、そんなに簡単なものか?
 
楽観的な人は、というより、前向きになるには、悲観的な考えを
追い払って、どんどん前に進むしかないと言い聞かせて行動する。
そうしないと、どんどんマイナス思考になっていって、何もする
気がしなくなってしまう、という主張は有る意味当たっている部
分が有る事も否めない。
 
しかし、悲観的な考えをただ追い払うだけでいいのか、財政の無
駄をなくし、健全化を進める事よりも、景気を良くすれば、自然
と財源が増え、(もちろん消費税増税が何よりも大切)赤字はい
つの間にか消えてなくなる、でOKか。
 
消費の拡大に積極的なのは良いけれど、こちらの方も、新しいモ
ノを作ってどんどん売れば、景気が良くなる、売り上げ高倍増で
収支も健全化?と単純に行くのなら結構なことだけれど。
 
折角ケチケチとチマチマと小金を貯めて、将来に備えておこうと
いう消極的悲観論者は、景気の大波に呑み込まれてみんな押し流
されてしまうというハッピーエンド。
 
仕分はどうなった?名言(迷言)だけを残して、「やってます、
やってます。」ばかりで、国民の前で、これだけやりましたと、
いや、やっていますと、はっきり見せるような事はしなくなった。
何故かと言えば、楽観論者にとって迷惑だからだろう。
 
楽観論がいけないと言っているのではない。悲観論=消極的、悪
という図式をおかしいと言いたいのだ。
 
原発の安全基準を考えて見て欲しい。「今までマグニチュード
(だったかな?いかんねー。忘れてちゃ。)以上の地震は起きた
事がない」とかおっしゃいますが、それがどうした?
 
それは、これからも起こる事は無いという意味には決してならな
い。エベレストが出来るほどの、或いは、島一つが沈んでしまう
程の地殻変動が起きているというのに、9だとか10だとかそん
な数字が意味をなすのか。
 
確かにそこまで考えていたら何もできないというのも確かだ。だ
がいったん起きたら、放射能が漏れまくって、住めなくなるとい
うのも事実だ。もっともそんな大きな地震なら、日本列島沈没?
どうせ住めなくなってるか。
 
でも、たまには思いっきり悲観的になってみるのもいいんじゃな
いか?
 
再利用可能なエネルギーが、もしも、ムリすれば何とかなるレベ
ルで手に入るのなら、苦労してみるのもいいんじゃないか。どう
せどっちにしても儲かる人は儲かるんだし。
 
その辺は専門家にお任せして?兎に角、言いたい事は悲観的とい
っても言葉が悪いだけで、実際は、悪くなる場合も徹底的に考え
て見る事はむしろ前向きじゃないと出来ない。悪い部分を受け入
れるだけの覚悟が無ければ、楽観論者はただ逃げ回っているだけ
とおんなじだ。
 
だからあの言葉(レン)、その発言(カン)が、名言と言いたく
なるのだ。
 
しかし、人間って全く悲しい生き物やなー。
 
自分をかばってくれる人でも、実際に自分が助けてもらえないの
なら(というかその人に助けるだけの力が無いと分かれば)平気
で打ち殺すんやね。でもそれが、誰が誰で、どれがどれか分から
ん所がせめてもの救いか。
 
私には分かっているなんて言わせないよ。人間だもの。
 
ちゃんちゃん。