ギタリストになりたかったオレ。
島村楽器のお題「楽器に関する思い出」
これほど似合わない物もないかもしれない、(といって何が似合
うんだといわれると困るが)。
実は高校生まで、ロックのギタリストになりたいと思っていた頃
があった。実際ギターは、小6の終わりか、中1の始めくらいから
兄のお下がりの小振りなフォークギターを手にいれた。
練習は、兄が買っていた、「ヤングギター」だったと思うが、そ
の雑誌に載っているギターレッスンを、毎回(確か月一)自分で練
習して、3フィンガー、4フィンガー、アルペジオ、カッティング
、コード進行、ブルーススケールなど、基本的な事を全て独学で覚
えた。
友達に、クラシックギターを持っている子がいて、一緒に弾いた
りしていたが、中2あたりから、巷でビートルズが流行りだし、(
勿論リアルタイムには聴いた事がなく解散した後の話だが)ラジカ
セを中1で買ってもらったこともあり、FMラジオの番組をひたす
ら探してカセットに録音して、曲を集めたりした。
友達同士で違うレコードを買って、お互い貸しっこしたりして、
とにかくビートルズは、メジャーデビュー後のものは殆ど全て、
(ライブ録音のものなどはテレビの特番で録音したりした。)集め
まくって、何とか揃えた。
最初はフォークソングの弾き語りから入って、次第にビートルズ
でロックに目覚め、結局中3の時、小遣いを貯めて、父にも足りな
い分を出して貰ったりしてエレキギターを手にした。
その辺あたりからプロを意識し始めたのだが、ギターを一緒に弾
く友達はいても、バンドを組もうという話には発展しない。
ドラムを、セミプロ(近所のバーみたいな所で演奏して飯食って
る人)に教わっていた友達に誘われて、数回練習用の小さなスタジ
オで、音合わせをしたが、ボーカルがあまりにハイトーンで、声が
出ないと言って止めてしまい、何となくそれきりになってしまった
。
この頃、毎日のようにギターばかり弾いていたので、流石に親に
も目を付けられ、スタジオに行くのに、友達のうちに遊びにいくと
か言って誤魔化しこっそりギターを持ち出し練習にいったりしてい
た。
結局、手が小さくて、アメリカ人が演奏するような曲は、指が届
かなくて演奏できない曲があったり(それでもやる気があればプロ
になる道も有っただろうが)、やっぱりリードギターは背が高くて
カッコいい男がやるもんだよねー的な雰囲気と言うか、自分でもそ
う思っていたので、スタジオミュージシャンにでもならない限り、
食っていくのは無理かなと自分で壁を作ってしまっていた。
実際、手が小さくても、良い男でなくても、プロになっている人
はいると言う事は分かったのだが、そこまで思い切る根性が足りな
かったのだろう。
何かと途中で止めてしまう事の多い性格で、自分で世界を切り開
いていく事ができないのが最大の欠点ともいえると思う。
それでもギターは、30過ぎまでずっと弾いていた。自分で言う
のもなんだが、かなり上手くなったと思う。
途中でギタリストは無理と諦め、ギターを作る会社に入ろうと考
えたのだが、これも結構アマちゃんな考えで、必ず出来るところに
入るんだと決めて、我慢して粘ればよかったものを、結局、何処に
配属になるかも分からないような会社に入って、思うような部署に
就けず、どんどん夢と現実は遠ざかるばかりとなった。
結局オレの夢って何だ?ってなはなしだ。言われればそれなりに
一生懸命やるのだが、決して納得していない。いつも違う事を考え
ながら仕方が無い仕方が無いで、誤魔化しながら毎日を送っている
。
これでは、どんどん生活が堕ちていくのも全く当たり前の事だ。
確かに夢を追い続けて、二進も三進もいかなくなってしまうことも
考えられるが、本当に、スタジオミュージシャンでも成れれば良か
ったかも知れない。
楽器に対する思い入れは今もかなり深いものがある。子供の頃か
らピアノを習っていたらなーなんて思うこともある。実際キーボー
ドも持っている。
オリジナルの楽器を作ってみたいと言う夢を持っていた時期もあ
った。
全てはお猿のたわごとで終わった。何がホントの夢なんだと自問
自答して見ても始まらない。
ただ、とにかく、楽器を弾く事は大好きである。下手をすると仕
事を忘れてしまうほど好きである。自己流とも言えなくもないが、
ちゃんとした教則本を読んで練習した。
早い指の動きは衰えただろうが、今でも、ギターだけはすぐ昔を
取り戻して、弾く事が出来るようになるのではないかと思っている
。
楽器に対する思い入れと言うより、音楽に対する情熱になってし
まったか。
またいつかきっと、フッとギターが無性に弾きたくなったりする
んではないかと思っている。