まあ世の中いろんなことがあるけれど。

 資料と言うか、コンテンツがちょっと溜まって来たので、少し整
理した。情報は当然のように、インターネットを通じて仕入れてき
たものだ。
 
 
 何かあってインターネットが使えなかった場合を考えて、別の手
段も考えて見た。手入力で、ろくなデータも揃えられないが、格段
にスピードが早くなる部分もあり、如何に現状に頼り切っているか
が少しだが分かった。
 
 
 「質」に関しても、必ずしも世間で言われているほどの差が有る
かどうかは疑問だ。
 
 
 しかし、今まで使ってきたものが、そのまま進化して更に使いや
すくなった方が便利なのも確かだ。どうしても、ただで使えるもの
と頼り切ってしまいがちだ。
 
 
 その一方で、ただで使えなくては困るものもある。空気はみんな
が使うものだから大切にしなければいけないし、自然の循環も壊さ
ないように気をつけないといけない。
 
 遊牧民の生活も今は近代化してしまい、定住する人が増えている
などと言う話を何時だったか聞いたことがあるが、この、自然の循
環に逆らわない生活様式は、実は貴重なものではないだろうかと思
ったりもして見た。
 
 
 だが、文明が高度化するに従って、対応できなくなっていったの
だろう。教育の問題なども有るだろう。
 
 
 結局何が言いたいかと言えば、人間何処で何のお世話になって生
きているか分からないと言うのが本当のところなのではないだろう
か。
 
 
 あらゆるものを、誰かの物と決め、誰が沢山持っていて、誰が、
人から貰わなければやっていけなかったり、或いは、世話をしてい
るつもりが世話になっていたり、口で言うのは簡単だが、大多数の
人がその人のものと決め付けていたものが、そうでなくなったり、
私物化しているといって、クビをちょん切られたり、でも実際は、
そんな簡単なものでなく、非常に複雑なものだと思うのだ。
 
 
 資料を整理していて、確かに何も知らず、手に入れたデータを、
それなりに便利に使っていたりして、ちっとも感謝の欠片もないと
思うかもしれないが、出来る事なら、そのままお返しするのでなく
、誰もわからないところで、自然の循環に従って、還されていると
、そういう環境が、誰の手でもなく自然に行われていて、唯その循
環を壊さないようにするだけに努力すると言うのが理想だと思うの
だがあまりに都合よすぎる考え方か。
 
 
 草が生えたら食べ、なくなって来たら、別の土地に移り、またそ
の内草が生えてくるまで、知らん振りをしている、そしてまた、生
えてきたら必要なだけ食べて、決して取り過ぎない。
 
 
 甘いと言えばあまりにも甘い考え方だし、文明の高度化について
いけない生き方であるようにも思えるが、たまにはそんな生活を想
像して見るのも悪くはないような気がするが。
 
 
 まあ、不都合が出てきて始めて、中身はこんな風になっていたか
と少しは分かったりしたわけだが、まあ、なるべく分からないとこ
ろで、分からないように、貢献できたらラッキーなのだが、ここで
言ってしまったので、それも無駄か。
 
 
 最後に言っておきたいが、これは反省文ではない。ただ、変わっ
た考え方も有るもんだと言っておきたかっただけである。だからき
っと、これはオレのお陰だから、感謝しろとおっしゃる人間は山ほ
どいるだろうが、それはそれ、これはこれ、どれどれ。人は人、猿
は猿、犬は犬。だからどうしたといわれても困る。
 
That’s it.