現代技術に見る、知識と英知の融合と対比。その2。

 超解像技術の中で、人間の、自然界に対する「知識」と「英知」
は、どのように活用されているのであろうか。
 
 
 まず、圧縮と解凍について。圧縮時に失われた情報を、どうやっ
て技術で補うのか。

 圧縮によって失われる情報は主に高周波成分であり、見た目には
殆ど違いが分からないような、僅かな部分、例えば、濃淡の差の激
しいエッジのような部分や、細かい網目のような部分の詳細な情報
が、カットされ、僅かではあるが、ぼやけたような、或いは、特定
の縞のような、不自然な表示が見られるようになってしまう。
 
 
 これをなるべく自然な状態に近づけるには、一つには、「情報」
を、持つことである。こういった特定のパターンは、それ程多くな
いと考えられるので、パターン情報を記憶させ、それぞれのパター
ンへの、対処方法をあらかじめ調べて情報として持っておく。そし
て実際に該当するパターンが現れた場合には、即座にそれを認識し
、決められた対処方法を施す。
 
 
 と言ってしまえば、簡単そうであるが、実際には、エッジが何処
から何処まで続いているのか、完全に消えてしまった境界線はどう
やって復元するのか、途切れ途切れに残っている境界線は、果たし
て繋いでしまって良いのか、それとも元々分かれていたものなのか
など、細かい情報になればなるほど、多種多様な情報を持っていな
ければならないことになる。結局、所詮は推測の域を出ない為、完
全な復元は不可能であり、どこかで妥協しなければならない。
 
 
 もう一つ考えられるのは、今ある情報、(デジタルなので、時間
的には現在、過去、未来の情報を分離させる事が可能な為、過去の
情報、未来の情報と考えられるものを、現在の情報を修正する為に
利用する事が可能となっている)つまり、一定の時間の範囲内で、
未来の情報、過去の情報を、現在の情報を補うものとして利用する
事が可能な為、これを利用して、現在の1フレームの中では完全に
抜け落ちてしまっている情報を、未来や、過去のフレームから、探
し出してくる事が可能なのではないかと言う考え方である。
 
 
 例えば、殆ど静止していると言えるような背景の前を、自動車が
走り抜けていく動画像を考えて見る。1フレームの範囲で見れば、
背景に、車を横切って抜けていくような線が画かれていたとしよう
。この線は、1フレーム内では、車をはさんで、2本の線が延びて
いるように見える。しかし、車が動いていくに従って、見えなかっ
た背景が見えるようになり、この線が実は1つに繋がっていた物だ
ったと分かる。
 
 
 或いは、背景も、幾つかのフレームにわたって、僅かでもずれて
いれば、網目状のパターンも動くに従って変化する為、実は、画像
の乱れだったと判断する事も、場合によっては可能となるだろう。
 
 
 だが、これらも、完全とはいえない。例えば、車が動くに従って
太陽光の当たり方が変化する場合や、視点が移動するに従って、背
景の裏側などの見えなかった部分が見えてくる場合に対処するには
、画像全体を3次元ととらえ、遠近感も考慮に入れた対処をしなけ
ればならなくなってくる。これも突き詰めると、やはりどこかで妥
協を強いられるのは、明らかであろう。
 
 
 あらゆる場合をはじき出して、徹底的に情報を集め、情報のカバ
ー率を上げる事によってすべてに対処するか、或いは、自然界のあ
らゆる物体や景色となるものなどを研究し、推測の精度を上げて、
何処まで正しい情報に近づけるかにチャレンジするか。
 
 
 まだ、これら以外にも、失われた解像度を復元する方法は色々有
るのかもしれないが、おおまかに言えば、この二つ或いは、それら
の組み合わせなどに集約されるのではないだろうか。
 
 
 どの方法が良いとか言う事は、時代の流れにもよるし、コストや
実現方法の簡単さなどを考慮しなければならないだろうから、簡単
にはいえない。
 
 
 ただ、知識と、人間の英知とが、どのように利用され、どういう
結果をもたらすかを考えるには、良い課題となるだろう。
 
 
 此処でもうひとつの例として、「コンピュータ将棋」と人間のプロ
将棋棋士との対戦について考えて見たい。
 
 
 「コンピュータ将棋」はコンピュータの発達とともに進化してきた
と言っても過言ではない。
 
 
 コンピュータがどれだけ人間の英知に迫れるかを見せてくれる、格
好の場として、近年急速に、目覚しい進歩を遂げ、現在に至っている。
 
 
 昨年行われた、某プロ棋士との対戦では、とうとう念願の?勝利を
遂げるまでに成長してしまった。
 
 
 本の数年前までは、アマチュア何段レベルとか言われていたものが
、某氏の今までとは違った視点による、思考ルーチンの改良により、
格段の進歩を遂げ、また、他のコンピュータ将棋で培われた方法を、
合議制と言う形で取り入れることによって、ついに念願の、プロ棋士
との試合での初勝利を遂げるに至った。
 
 
 ここで、今までとは違った視点というのを分かる範囲内で簡単に説
明して見たい。
 
 
 アメリカでは、IBMがディープブルーと言うスーパーコンピュー
タを使って、チェスのもっとも強い人の中の一人と言われる人間に挑
戦し、これを降したのは、ご存知の方も多いと思われる。
 
 
 このスーパーコンピュータの思考回路は、これもまたあまり詳しく
なくて恐縮であるが、基本的には、時間内にあらゆる手を先読みし、
徹底的に、有利な手を探ると言うタイプのものだったと思う。とにか
く、時間内に何処まで先読みが出来るかが、勝利の鍵であり、コンピ
ュータの長年にわたる、急速な進歩によって、とうとう人間のレベル
を越える事が可能になったと考えられるだろう。
 
 
 この時、将棋についても同様の手が通用するか、考察されていたが
将棋の場合、相手からとった駒を、もう一度使う事が出来る為、チェ
スに比べて、先読みしなければならない手が膨大になり、当分の間は
コンピュータで先読みするだけでは勝てるようにならないだろうと言
われていた。
 
 
 そこに、視点を買えて挑戦した人が出てきた。過去のプロの棋譜
すべてコンピュータに記憶させ、過去の棋譜の中から、現在の状況に
対して有利になると考えられる手を選び出し、実行すると言うもので
あった。棋譜の数は膨大であったが、これもコンピュータの進歩によ
ってすべてを記憶させておく事が可能になってきたと言う事であろう。
 
 
 以前は、ある程度まで先読みし、それプラス将棋の基本的な手筋、
囲いや、振り尾車、棒銀、その他定石と考えられるあらゆる手に対
応出来るように、序盤、中盤、終盤に分けて、戦略を練るように考
えられていた。
 
 
 此処でいえるのは、全ての手を先読みするのは非常に無駄が多く
むしろ、今までの棋譜をデータベース化して利用する方が、遥かに
効率が良いと言う点である。この戦略に勝つ為には、人間は、常に
今まで使われた事のない手を打ち続けなければならないだろう。
 
 
 プロの王将や、棋聖、名人などと言われる人でも、序盤のある程
度のところまでは、ある程度想定内の手を打っていたりする。そこ
から先は、相手との知恵比べに入っていくのであろうが、例え名人
と言われる人でも、過去の全ての棋譜を記憶しておく事など到底出
来ない。全く新しい手を打っているつもりでも、どこかで、過去に
出てきたパターンにハマってしまわないとも限らない。
 
 
 言って見れば、これは、人間の「英知」をデータベース化して応
用したものだと考えられるだろう。そういう意味では、単に知識を
結集して当てはめただけではない。そこにはあらゆる戦略が詰め込
まれている。
 
 
 今まではむしろ、頭だけで勝とうとしていた。これでは、プロ棋
士にコンピュータプログラミングを教えて、ソフトを作ってもらう
しかないだろう。この方法ではプロ棋士を上回る手は、プロ棋士
同程度の棋力をもった人間がプログラムを作るしかない。
 
 
 また、先読みでは、データだけで勝とうとしていたのと同じだろ
う。全ての手を読みきらない限りは、これでもプロには勝つことが
できない。
 
 
 結局は両者の良いところを上手く引き出し、1つにまとめ上げた
事が最大の勝因だったと言えるのではないだろうか。
 
 
 超解像の話に戻ると、やはり、人間の「英知」だけでは解決できな
い予測不能な様々な問題に対処する為には、データを集めまくる事
も必要かもしれない。しかし、近い将来誰かが、独創的な考えを持
って、超解像の劇的な進歩をもたらさないとも限らない。
 
 
 或いは、更なるコンピュータ関連、いやそれだけでなく、あらゆ
る分野の技術の進歩により、超解像技術自体が不要になる日も、そ
う遠くないのかもしれない。
 
  
 そして、それを可能にするには、「知識」が必要でもありまた、
それをまとめ上げる為の、「英知」もまた、決して欠かす事のでき
ないものなのであろう。
 
 
:あとがき

最初に題を決めて書き始めた時には、「いくら知識を増やしてまとめ
上げたところで、人間の英知にはかなわない。」と言う結論にするつ
もりだったのだが、結局、こんな無難な内容になってしまった。
「身体を動かして仕事の出来ない奴は、知恵を出せ。」とか言うよう
な事を言っていた人がいたそうだが、「実務なくして知恵なし。」と
いうことも、言いたいと思っていたのだが、それも言わずじまいとな
ってしまった。 
 
 
 だが、多分これでよかったのだろう。要するに知識と知恵の間に境
界はないということで良いのでははないだろうか。
 
 
                          終わり。