小籠包、もとい、小論文。現代技術に見る、知識と英知の融合と対比。

 現代技術、特にコンピュータ関係は、その応用範囲の広さと、大
量生産による絶え間ないコストダウン、更には新しい技術の開発、
これらが相互に補い合って、あらゆる分野で応用される様になって
来ている。
 
 
 これらは、単に以前の技術を、コンピュータを使ったシステムに
置き換えると言うだけでなく、新しい付加価値も次々に生み出され
、生活をより豊かに、或いは、より多様なニーズに答えられる様な
方向へと発展してきている。
 
 
 しかし、自然界の複雑さは、それでも尚、解決できないような問
題を沢山内包している。
 
 
 デジタル化による、データと時間の分離、結合については以前に
も述べた通り、アナログでは殆ど問題にならなかったような新しい
問題を、提起しているともいえる。
  
  
 そしてまた今、新たな問題として、いや、以前からこの問題につ
いても各方面で散々論議されてきたと思われるが、
 
「論理と思考」、
「知識と英知」、
 
という、互いに深く関係しあっているが、また一方で相容れない面
を持ち、常に、比較の対象とされ、また、互いに競い合って発達し
てきた問題が、コンピュータ上で、どうやって表現され、生かされ
ていくのかが、重要な問題として、浮上してきている。
 
 
 具体例として、「超解像と将棋」を用いて、自分なりに分析して
見たい。
 
  
 超解像技術は、近年テレビ、映画などの画像放送のデジタル化に
伴い、発達してきた技術であるが、元はと言えば、画像の伝送情報
を圧縮する為に用いた様々な技術による副作用が、原因となって、
それを解決すべく要求されるようになってきた技術であるとも考え
られる。
 
 
 これは本来、各画素が動きと時間も含めて自然界の情報と1対1
対応していれば必要の無いものであると思われる。
 
  
 しかし、1対1対応させる為には、情報量も膨大になり、処理速
度も格段に上げないととても対応しきれるものではないだろう。
 
 
 システム全体が非常に高価で、複雑なものになるのは避けられな
い。これを何とか実用の範囲に収める為に、圧縮や、補間、予測な
どの技術が開発された。
 
 
 しかしどの技術も、「自然な」状態とのトレードオフであって、
何らかの不自然さを完全には排除できない。
 
 
 それでも何とか自然な状態に近づけるべく、日夜努力が行われて
いると言うわけである。
 
 
 だが、一口に超解像と言っても、あらゆる方法が考えられる。要
するに、低い解像度情報しか持たない動画像を、何らかの、人工的
な処理によって補い、実用上の解像感を高めようとする技術全般を
指すものと思われる。
 
 
 ここで、「知識と英知」をどのように使い、事実上の解像感をな
るべく自然なものに近くするかが、各社の技術の見せ所となるので
あろう。
 
 
 残念ながら細かい技術情報については、専門家ではない為、推測
の域を出ないが、おおまかに言って、2つに分けられるだろうと考
えている。
 
 
 残念ながら、時間の都合もあり、今日の所は、本題に入るまでに
至らなかったが、次回はもっと突っ込んだ内容に入って生きたいと
思う。
 
 
 今日は出来るだけ硬めに振って見たつもりですが、無い知識を絞
って書いているので、各技術について興味を持っている方は、「超
解像」「コンピュータ将棋」などをキーワードに、ググって見てく
ださい。もっと良いことが沢山書いてあると思います。
 
 
                        以上。