著作権保護は何処まで必要か。

 著作権のなかった時代には、幸い?な事に、人にものを伝えるのが非常に不便で、語り伝えたり、身をもって教え込んだりして、受け継いでいったのでしょうが、今日、不幸?な事に、色々なものがコピー可能になり、人から人へ伝えるのはいとも容易いものになってしまいました。(なんと、大学の試験問題までもが、試験中に送信から解析、受信まで可能になってしまったのだから手に負えない。)

 しかし、何故そんな技術が生まれたかを考えれば、決してお金を取るだけではなく、使う人に便利になるようにと考え出されたに違いない。ならば、コピーが簡単になったことも、決して不幸なだけではないはずだ。

 世界中の情報が、パソコンを使ってインターネットに繋ぐだけで簡単に共有できる。これはすごい事だ。その可能性は、まだまだ、計り知れない。

 しかし、確かに、苦労して作ったもの、試行錯誤の上、何年もかかって作ったものが、簡単にコピーされ、利益まで奪われてしまうのも、たまったものではない。果たしてどれがオリジナルかさえ、判らなくなって来ている。その分野の人達にとっては随分と昔から当たり前だった事も、一般人にとっては、今日始めて知った事になりうる。

 結局は、動き出してしまったのは止めようがないと、割り切り、どこかで妥協点を見つけながらやっていくしかないのだろう。

 著作権を主張するのも良いが、ユーザーにも利便性を残しつつやって欲しい。そこそこの利益で満足するか、或いは、逆に、どんどん利用範囲を広げられるように開放して、一つ一つからは僅かな収益でも、全体として、数で得を取るようにするなど、新しい収益の上げ方を模索していくのか、他にも色々アイデアはあろう。

 が、どうなるにせよ、ただ著作権保護といって、すっぱりと、ユーザーの利益を「悪」として切り捨ててしまうのだけは止めていただきたいと思うのだが、他の人はどう思っているだろうか。私としては、それなりに自分たちは利益を確保しつつ、ユーザーにも一定の権利を与えてくれるような方向に持っていって欲しいと思うのだが無理だろうか。

 結局は、時間が解決する問題なのだろうか。