龍馬は全ての人に愛されていたか。

 以前にも、字余りまくりの川柳で書いた事があったが、龍馬くんのような人が身近に居たらイヤだよね、というような事を言ったのだが、冗談でも皮肉でもなく、かなり恨んでいた人が居た事は確かだろう。

 多数派が、必ず正しいわけでもなく、その意見に従っていけば必ず物事がよくなるわけでもない。そういう意味では、民主主義にも矛盾や限界があるということは、もう随分前から言われ続けていると思うのだが、全てにおいて、解決策を提示してくれる人が居る訳ではない。

 結局、矛盾を感じながらも、多数派の意見で動いていってしまう、時には危うい方向へいってしまうことも考えられる訳だ。だからといって、会社のように社長命令が絶対のような、独裁とは言わないまでも、権利委譲の元の、統治体制のような方式も、万が一道を誤れば、八甲田山になりかねない。

 じゃあどうすれば良いかなんて分かれば苦労はしないのだが、分からないといって試行錯誤している余地もあるわけも無く、このままずるずると・・・・・。

 世の中多様化してきて、多くの人が共通の夢を見ることも、なかなか難しくなった。いつかはクラウンなんていうのも、むしろ、自動車自体に興味の無い若者も多いらしく、言ってもきっと何の事か分からないだろう。

 それよりも、目立たず遅れず定年まで頑張って、後は田舎で、のんびりと年金暮らし、そば打ち、家庭菜園、小料理屋を開く、庭弄り、海の近くで、船釣りを楽しむ、などといった生活を夢見ている人の方が多いかもしれない。

 閑話休題。世の中をよくする人はきっと、皆に好かれる人に違いないのだが、それはあくまで結果であって、最初からそうでもなく、また、その人の一生の内にそうなるとも限らないだろう。また、時代が変われば評価も変わる。

 龍馬はむしろ、人に嫌われることを厭わなかったからこそ、志を成し遂げる事ができたのかもしれない。というか、嫌われる事よりも、抱いた夢の方があまりにも大きく、周りが見えなくなっていたのかもしれない。

 あんなに流行った番組なのに、誰一人として、真似しようとか、見習おうとか言う人が出てこない。(知らないだけか。)。格好だけでも真似して、人気者になろうとする人が出てきても良いと思うが。

 あの番組を見て、どれだけの人が、涙を流しただろうか。残念ながら自分は、全く涙ぐむ事さえなかった。「どうして、分からんとじゃ。」といって切られて死んでいった、最も胸の痛むシーンでさえ、涙の一粒もこぼれて来なかった。

 「あしたのジョー」の実写版が、何十年か振りに、上映される事になったらしいが、多分これも残念ながら、アニメの時に流した涙がよみがえってくる事は、きっと無いだろう。

 それが、今の世の中を象徴しているような気がするのは、考えすぎか。