Let’s play Golf.

 日本のゲームは奥が深いと、某業界人さんだったかが、おっしゃっていましたが、ゲームはあまりやらないので、よく分かりません。ただ、本当に奥の深いゲームは、その奥深さのゆえに、一部の人間にしか理解されず、消えてゆく運命にあるような気がしているのは多分、私だけでしょう。

 昔々、面白いと有名なRPGを先輩に借りて、やって見た事がありましたが、どうも今一ピンと来なかった。ゲーム作家が考えたシナリオを、四苦八苦しながら、探っていくと言う形式が、何となく出来上がっている道をただ追いかけていくだけのような気がして、自分で進んでやっていると言う実感が湧かない。

 結局、ゲーム作家が考えた以上の世界が広がっていく訳でもなく、仕込まれた以上のアイテムが存在する訳も無く、エンディングまで最初から決まっている。その内、色々と工夫されて、マルチエンディングなんていうものから、今はどうなっているんでしょうか。エンディングはプレイヤーの数だけ存在するようになったでしょうか。

 その点、パズルのような思考ゲームは、思いもよらない結果が次々と生まれてきて、本当に大昔、まだ、グラフィック表示が、めちゃめちゃしょぼかった頃、ライフゲームなんていうのが流行って、コンピュータの奥深さを感じさせてくれた事を今も憶えています。

 将棋の世界も、チェスなどとは違って、現在のスーパーコンピュータをもってしても、先を読みきれず、人間の、プロの棋士の頂点に立つ人たちを負かすには、まだ何十年もかかると言われていましたが、昨年秋ごろ行われたプロの女流棋士とパソコンソフト4組の合議制で答えを出すという方式でのコンピュータ将棋プログラムとの勝負は、残念ながら、プロ棋士の方が負けてしまいました。

 奥深さと言うのも、色々な人間が、色々な方法で追求して行って、限られた範囲であっても最大限に自由な発想が出来るような場所が与えられていないと、深まって行かないんじゃないでしょうか。

 時には、とんでもない天才が現れて、すばらしい業績を残して、あっという間に消えていく、それもまた、いろんな人が、自由に参加出来てこその事だと思います。

 と言う訳で本題に戻りますが、正直言って、今は奥深いゲームにのめり込んで行くだけの、気力がない。スピードも無い。

 ゲームはやっぱり見るもんで、ヤルもんではないでしょう。3Dディスプレイで、グリングリン視界を回して、目が回るまでやってぶっ倒れる。これで満足か。

 その内また、どっからか、お決まりのモンスターが現れて、どっカーン。とビルをぶっ壊して、蹴飛ばしまくって、あーすっきりしたというパターンでしょうか。おーこわこわ。どえらいこっちゃ。
この辺西と着ましょ。