諄過ぎる程諄い様ですが、言わずにいられない、その内きっと指されるな。

 ほんとにくどくてくどくてイヤになるでしょう。でも、誰も読んでないから(呼んでないから?)大丈夫かな。そんなわけは無い。世の中必ずどこかできっと誰かが見ているものだ。それが神というものだ。

 分かっていて言っているとすれば、ほんとにその内指されるに違いない。そうなってからゴメンナサイといっても遅い。でも、言ってしまうのが、大いに笑えるところか。死ぬほど笑ってやってください。

 とにかく、物事には必ず前提があるということ。確かに、突き詰めれば、前提の前提はまた前提で、大前提の上には大々前提があってその上にはまた・・・という事になるのだが、何処まで歴史を遡るかによって、前提は変えられるようにも思われる。だけどやっぱり不適しいものは不適しいといわざるを得ない。

 前提には、大きさもある。大前提と言う位だから、単に昔の事を持ち出すだけで、言い逃れできる物でもない。大きい事、影響を与える範囲が、大きければ大きいほど、やはり、誰もが納得し、しっかりした物でなければならないだろう。

 その大前提を崩しておいて、小さいほうを不適しい不適しいと、いくら大勢で大声で叫び声を上げて、脅かして見ても、ただその小さいほうが、大人しく言う事を効く様になるか、頭がぶっ飛んでどっかへ突っ込んで死んでしまうかせいぜいその程度(本人にとっては重大だが、社会的には殆ど影響を与えないだろう)としか思えない。

 頼むから大前提を崩すのを止めてくれといっても、それは偉くなれば成る程与えられる(誰が、誰に与えるのかは知らないが、また知りたくも無いが)特権のような物だろう。

 「あしたのジョー」泣けましたな。子供の頃だから、世の中の苦しみや悲しみ、どうしようもない事が沢山有るなんて、何にも知らないくせに、何故か、泣けました。

 でも、この話に、「たられば」を使ったりして、もう一度生き返らせたりしたら、どうしようもなく陳腐な物になってしまうでしょう。

 それと、ジョーには、独特の「匂い」がある。一般人には無い独特の「匂い」が。この「匂い」を演技できるような、役者さんは、そういないと思います。才能とかそういったものでなく、もって生まれた「匂い」が。逆に言えば、役作りなんて出来なくても、この「匂い」を持った人であれば、それだけでいいような気もします。

 「あしたのジョー」は、あのラストシーンが全てだった。と私は思う。これ以上弄くらないでそっとしておいてやって欲しい、と、切に願います。(単に自分が見なければいいだけか)


最後に、

 結局はどんなに足掻いても偉い物は偉い。そんなの常識、タッタたらリラ、ピーひゃらピーひゃら、パッパパラパ、踊る変梃りん。(¬自WWW)