スキヤキ。

 人間は、生まれ、育ち、大きくなり、そしてやがて、年老いて、最後は、生まれる前の世界へと、帰っていく。五年ぐらい前の、履歴書の写真が出て来ました。たった五年でも、顔の頬の辺りは綺麗で、つるつる。今はもうシミやあばただらけで、黒ずんでいかにも年の差を感じさせる。年を取れば、レベルの差こそあれ、必ずどこかが衰え、外見も年老いたなりの容貌へと変化していく。それを見るのは、自分であれ、他人であれ、どうしても悲しみを感じずにはいられないものだが、それでも、精神的に元気であれば、まだ何となく、悲しみも少しは和らいだものだった。が、やはり、自分の身体を支えていく上で、精神的なものは、最も重要なのではないかとおもう。誰しも何かを支えにして、生きている訳だ。昔話の繰り返しでも、「またか。」と思いながらも、実際にはその元気さを実感しながら、生きてきたのだったと今思う。人生を、ある意味では、分かち合いながら生きてきた人が、もし、お互いにそれぞれの昔話さえも出来なくなってしまったとしたら、それは年老いた顔や、満足に動けなくなった身体、小さくしか出せない声を、見るよりも更に忍びない。肉体が衰えても、精神さえしっかりしていれば、何とか救いにはなる。
 ロボットが精神を持つようになり、やがてロボットが人間からの自立を宣言して立ち上がり、戦争になる。そしてロボットが勝ち、人間を支配するようになる。そんな警告をほのめかすような映画やドラマは、もう随分前から描かれているが、むしろロボットは、精神を持っていないからこそ、人間より強いのではないだろうか。いや、時には精神力が、持っている以上の力を発揮するきっかけになることもある。また、想像力の源ともなる。それが、幸せに繋がっていければいいのだが、時にはそれが悲しみの元にもなる。なんとも言いようの無い、しかし避けがたい、多分、知能を持ったロボットは、いずれ、生み出されるかもしれない。しかし、精神を持ったロボットの人生はむしろ人間よりもむなしいと思う。