細かい事は気にしない、大きい事は関らない。

 これで良いんでしょうか。語呂が良さそうなので書いてみただけ
ですが、まあ、あんまり細かい事ばかり考えていても、得られるも
のは少ないと言えるかもしれません。
 
 
 しかし、意外と細かい事に重要なものが隠されている事も、無い
とは限りません。そこが難しいところ。
 
 
 弘法筆を選ばすとも言いますが、究極を求めたら、当然、筆も究
極のものを使わざるを得ないでしょう。それを使いこなしてこそ最
高のものが出来るはず。
 
 
 しかし、究極のものを求めるがために、失うものもまた非常に大
きくなってしまうのも避けられないということですか。人によりけ
りですか。そんな事は無いはずだけど。
 
 
 究極は、究極であるがために、人に理解されぬもの。結局、そこ
そこが究極の顔をして居座っているだけなのは明らかですが、それ
を照明しろと言われるとこれまたとてつもない苦労を背負い込む事
になる。
 
 
 究極は人知れず、どこかに存在するもの。量子力学ですか。
 
 
 量子力学も、「分からない」では済まされなかったがために生み
出された不幸の産物ですか。人間分からない事なんてたくさんある
に決まっているのに、すべては答えを出さずにはいられない。
 
 
 そっとしておきましょう、と言う選択肢はありえねーと言う事で
しょう。
 
 
 別に人生に悩んでいるわけでもないのですが、何となく自暴自棄。
 
 
 総入れ歯(そういえば)、読み人知らずの辞世の句を一つ紹介し
ましょう。
  
  
 
 教え子の卒業前に我卒業。
 
 
 意味は、教え子の卒業を待つまでも無く、職を追われたという悲
しくも笑えるお話でした、かどうかは不明です、と言う訳で答えを
出さないのが正解としておきましょう。