卵が先かにわとりが先か。

「目は見えなくなった。しかし、私には未来が見える。」
なんてこといってねーよ。たぶん。ゴメンナサイ。悪気はないんです?

 オリジナリティーというけれども、実際問題、何がオリジナルで、何がイミテーションか、たとえ殆ど同じだったとしても、一つのことを追究して言った結果、同じような物になってしまったりはしないだろうか。明らかに借用させていただいた場合も有るだろうが、それを知るのは本人のみである。場合によっては本人すら、気づかぬうちに、昔々見たことを忘れて、いや、本人の中で熟成されて、「ひらめいた!」と思うことも考えられる。「この方式は何々で初めて採用されました。」と言ったりするが、殆ど大きな声で言ったもん勝ち的な所があったりする。そういう自分も、かつてはオリジナリティーに必死になってこだわった時期があったが、昔の特許資料や書籍、雑誌とにかく、その時点で出来る限り調べて、これは絶対無いはずだと確信して(元々、アイデアをひねり出す段階で、自分なりの屁理屈を作り、こうなら、絶対こういう方法が通用しても良いはずだと考えて、実際作って見て、やっぱりそうだったと納得して考えたので、オリジナリティーに関しては他人が思いっきり嫌がる程に自信があったのだが)発表したのだが、その発表も、自分の考えに基づいて、付けた技術的ネーミングを使ったので、元から詳しく説明しないと理解できないはずの物だったのだが、上司曰く「これは、あるよな。もう誰かが特許を取っているだろう。な。」他の人たちは「シーン。」「これは良く分からないから後回し!!!」で、結局没。二度と話題に上る筈も無く、私も、「これは説明も何も聴いてもらえそうも無いな。」と、ある意味発表する前の時点で、「特許なんて、30分で書けるだろ。」と上司はみんなに言っていて、自分でも、ちゃんとした人間関係を築くことが出来ていなかったと自覚していたので、結局、蚤の悪あがきでどうしようもないだろうと思っていたのだが、「分からない」と言って貰えたのがせめてもの救いだったのかもしれない。オリジナリティーにどれ程の力があるか、自分の人間関係下手を突き破る程の力があるだろうか試してみたかっただけなのかもしれない。それ以来、オリジナリティーもまたある意味腕力であると理解せざるを得なくなった。というかそれが事実だろう。歴史もまた、強い者が残してきた足跡とも考えられるが、その一方で、思わぬ人物にスポットが当たってしまうこともある。それはそれで別にどうでも良いではないか。今更どうしようとも、して欲しいとも思わないが、何かかなり自分だけの負け惜しみ話になってしまったが、事は単純、敬意を表していたものが、実はそれ以前に実在していたのだという事実を知ってしまった時、ヒトはどうしたらよいのだろうか。そもそも、万物の創造主のオリジナリティーに比べたら、全ては真似事になってしまうというのは、あまりに話を大きくしすぎたか。残念ながら、現実がどうであれ、結局は努力するしかないのか、動き続けることしか出来ないのか。ネットにハマりつつも結局は、ただひたすら飯を食って動き続けて、糞をして寝る、
「すごいのが出てきた。」とか、「こっちの方がよかったなー。」「やられたー。」などと思っているうちはまだ楽しい物である。人のことを忘れるほど、いや、われのことさえ忘れるほど、ハマっていられるうちはまだ幸せか。その内現実が怒涛のように押し寄せてきて否が応でも引き戻していくに違いない。

ホントにでも、オリジナリティーって何だろな。エネルギーの源か、我を忘れさせてくれる麻薬のような物か。他人の作ったオリジナリティーに乗っかって楽しんでいる分には、気楽な物か。どっかの歌にあったように、生きてることそれだけでオリジナルか。一生懸命頑張るだけか。世の皆さん。ワクワクするようなオリジナルを楽しみにしてまってまーす。どんどん良いもの作って、世の中楽しくさせてくださあい。微力ながら、応援させていただきまーす。新薬も期待してるよ。