無駄な事、有益な事。

 この年になると、趣味や興味は、数え切れないほどある。何一つ取って見ても面白いし、読みたい本、見たい映画、聴きたい音楽、日記だって、自分が書きたくて書いている。

 専門書はそれこそ、「腐るほど。」買いこんだ。ちゃんと最後まで読んだ物もあるし、一部だけ見て、後はそのまま、或いは、辞書のように、必要な部分だけを、必要なときに引っ張り出してきて、使っている物も有る。

 物置にしまったまま、虫に食われて腐ってるんじゃないかと思われる本も沢山ある。

 しかし、これを実際に仕事に生かせているかと言うと、全くもって怪しい。
趣味と実益が上手くリンクした事など、この何十年殆どないと言って良い。

 確かにプログラミングは、仕事で憶えたと言うより、殆ど趣味(と言ってもほんとは仕事に生かすつもりで勉強していたような物なのだが)で、自宅でやって身に着けたことの方が、限りなく多いが、会社でもそれなりに需要はあった。

 そういう意味では生かされていた事もあると言えなくもないのだが、結局身の回りの物を自作したり、ちょっとしたツールを作ったりと言う程度で、ちゃんとしたプログラムを、基本設計から実装、デバッグ、テストまできちんとやったのは、ほんの一回か二回かそんなもんだ。

 それも、某社を辞めて、フリーに近い状態になってからの事だ。

 今では、そのプログラミングも、仕事にならず、全く関係ない仕事をしている。(それでも、仕事に就けるということは有り難い事なのだが)。

 ところで、話は変わるが、プログラミング以外の仕事をするようになって思うのは、未だに独身というのは、実は仕事上大きなハンデとなっているのではないか。

 子育て、教育、遊び、躾、よく考えて見ると、どれも実際、それぞれに仕事に結びつく物がある。それを、実体験していないと言うのは、理科の実験をしないで、本だけ読んでいるような物だ。(あまり良い例えではないな)

 理科も、結局は、実際に物づくりに関わるようになって初めて、生かされているという実感が湧いてくるものではないだろうか。

 仕事に実感が無い、と言うのは、不幸な事である。物を作っていても、それが現実に誰かの手によって、使われて、喜ばれて初めて作ってよかったと思うだろう。

 そういう意味では、正社員時代にも、作っていると言う実感は、あまり無かった。

 購入者のアンケートや、実際に店頭で販売しているのを見ても、何か実感が湧かない。そこに自分の努力や工夫の跡が感じられない。まあ、組織自体が大きいので、皆がみんな実感を感じられる様になるというのがどだい無理な話だったのだろうが、勿論、自分の仕事への関わり合い方にも問題が有った事も確かだろう。

 だが、実感を感じると言うのと、目立つと言うのもまた違うだろう。何にしても、実感が湧かないまま仕事をしていると、結局身にならない。

 色々な仕事をやってきて、専門以外の仕事に関しても抵抗感が低くなっているはずなのだが、実は、仕事の種類も、質も、関わり方も、仕事相手も、
あらゆる面で、非常に相手を選ぶタイプの人間なのである。

 といって、開き直ってもしょうがないが、ハンデはハンデとして認めてやっていくしかないか。全く世の中分からない事だらけだ。